

社会評論家の故・大宅壮一さんが、テレビメディアの出現を「一億総白痴化の展開」と批判し、それがたちまち流行語になったのは1950年代半ばのこと。
あれから半世紀。情報過多の時代と言われて久しいが、なじみの薄かった時事番組や報道番組がワイドショー化し、市民生活へのインターネットの浸透も相まって、誰もが自由に何でも評論する“一億総評論家”の域にまで国民意識は高まった。特に8月30日を前後して今日に至り、新聞・テレビは言うに及ばず、ちまたの政治評論にも花が咲く。しかも、単なる政局予測にとどまらず、政策の良しあしや優先順位づけ、財源論まで幅広い論評が続く。これが国民の政治への関心を高めることにつながっているのであれば大いに歓迎すべきことだ。それこそ政権交代がもたらしたプラス効果の一側面だろう。
9月16日、私は国会議事堂に足を運び、鳩山総理誕生の瞬間に立ち会う機会に恵まれた。警備にあたる衛視が、「40年の国会勤務でこんなに大勢の傍聴者は初めて」と言うほど、あふれんばかりの人の波。この熱気を信じ期待したい。政治は変わる。否、変えねばならない。自民党政治が連綿と続き、制度疲労の極みに陥ったこの国の形と中身を変え、国民の生活が第一の政治を創造しなければならない。
だが、この作業にはさまざまな困難が伴う。プロ政治家だけに委ねるのでは心もとない。国民が単なる評論家に終わらず、政治変革のプロセスに積極的に関わることが必要だ。民主党も国民が政治プロセスに参加する仕組みを検討・具体化すべきだろう。“一億総評論家”から“一億総政治家”へのステップアップをすすめたい。
(大泉)